『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

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Nei-Kid

Children First/Global/Be Unique、をポリシーに子どもの学びと子どもからの学びを広げていきます。

英国に住むブレイディみかこさんが元底辺中学校に通うお子さんの様子を描いた、ノンフィクション本のタイトルです。

日本人(黄色人種)と白人との間に生まれた息子が、中学校に通いはじめた直後に、ノートの片隅に「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」と書き込むところから物語ははじまります。

レイシズム、という問題はとても繊細で、日々の生活にこんな風に現れるのか、と気づかされるエピソードが続々と出てきます。

「でも、多様性っていいことなんでしょ?学校でそう教わったけど」
「うん」
「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの?」
「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や争いが絶えないし、そりゃない方が楽よ」
「楽じゃないものが、どうしていいの?」
「楽ばっかりしてると、無知になるから」

喧嘩や争いが絶えなくても、知ることが大切なのです。知らない人は簡単に人を傷つけることができるから。

この本の中では、時代錯誤の人種差別を平気でする子どもや、貧困家庭から里親に引き取られ上流階級にいった子ども、アフリカから来て差別的扱いを受ける子どもなど、今英国で実際に起こっている出来事が体験記として次々に描かれます。

上流階級か否かによって、学校の水泳大会でコースがまったく別々にされているなど、ちょっと鼻白むくらいに露骨に区別されて運営されている様を読むと、子どもたちが直面している現実というのを思い知らされます。

でもそこから息子はいろんな出来事を通じて、学んでいきます。
たまにお母さんとする対話にも、それが現れています。

「差別がいけないと教えることが大事なのはもちろんなんだけど、あの先生はちょっと違ってた。どの差別がいけない、っていう前に、人を傷つけることはどんなことでもよくない、っていつも言っていた。だから2人を平等に叱ったんだと思う。」

「…….それは、真理だよね」と息子がしみじみ言うので私も答えた。「うん、世の中をうまく回す意味でも、それが有効だと思う。」

人を傷つけることはどんなことでもよくない。とてもシンプルなこのことを、「真理」だと主人公の子どもがしみじみ言うシーンです。

ある時、学校のシチズンシップ・エデュケーションで『エンパシーとは何か』を問われた息子は、「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えます。その人にはなれないけれども、その人と同じ立場になってみることはできる。

同じ立場になることで、その人の状況を知り、傷つけようとは思わなくなる。

多様性やエンパシーは、この親子にとって日常の体感で理解していることなのだと思います。

こういう感覚、素敵ですね。

「ホームレスの人から物を貰っちゃったりしてもいいのかな。普通逆じゃないのかなってちょっと思ったけど。でも、母ちゃん、これって…..善意だよね?」と息子がいった。
「うん」
「善意は頼りにならないかもしれないけど、でも、あるよね」
うれしそうに笑っている息子がいうと、ふとエンパシーという言葉を思い出した。

他人の靴を履いてみる努力を人間にさせるもの。そのひとふんばりをさせる原動力。それこそが善意、いや善意に近い何かではないのかな。

 

この息子の周りにはいろんな背景の大人たちや子どもたちがいて、交わりながら暮らしています。

その様子を、お母さんはこんな風に表現していました。

It takes a village.

英国の人々は子育てについてこんな言葉をよく使う。「子育てには一つの村が必要=子どもは村全体で育てるものだ」という意味だが、うちの息子を育てているのも親や学校の先生だけじゃない。こうやって周囲のいろいろな人から彼は育てられてきたのである。

この「It takes a village.」というフレーズはまさにNei-Kidのビジョンである「社会全体を学校にする」に通じるものです。接点さえあれば、子どもたちはどんどん社会から吸収していく。だから、親や教師だけじゃなく、社会に生きるみんなで交流しあって学んでいけばいい。

”多様性”についても、実際のエピソードからこんな風に描かれています。

日本代表の試合をみるときは家の中でも日本代表ユニフォームのレプリカを着て応援していた息子(息子の祖父が買ってくれた)が、今度はイングランド代表ユニフォームのレプリカを着て声援を送っていた(ロンドンの叔母が買ってくれた)。応援するチームが複数あるのは幸運なことだが、なるほど多様性の強さってのはこんなところにあるのかと思う。こっちがダメならあっちがある、のオルタナティブが存在するからだ。こっちしか存在しない世界は、こっちがダメならもう絶滅するしかない。

EU残留派も離脱派も、自分と反対の考えを持つ人々がこの国に存在するということをなかなか許すことができずにいるが、英国には両方の考え方の人達が生きているのだというファクトを醒めた目で冷静に受け入れ、その現実とともに暮らしているのは実は子どもたちかもしれない。

子どもたちは、驚くほど大人たちの様子をよくみています。

サッカーで応援するチームの勝敗も、EU離脱という国家の一大事に対する大人たちの姿も、同じようにフラットにみて、感じて、ある時は強かに自分の立場も利用して、ぶつかりあいながらも子どもたちは過ごしているのです。いま、この瞬間も。

「僕は、人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う………罰するのが好きなんだ」

と、息子は言い放ちます。

自分が正しいから、正しくないものを罰する。

大人の世界に溢れかえる傲慢を、子どもたちはしっかりとみています。

幼児は禅の心を持つアナキストだ

と作中でも書かれていますが、子どもたちの純粋で固定観念のない目からみた時に、自分たちや周りの状況がどう映るのか、時折立ち返って考えてみるのがよいのではないでしょうか。
そのために、子どもたちと交流してその視点を失わないようにする、というのはとても大切なことだと感じています。

 

さんざん手垢のついた言葉かもしれないが、未来は彼らの手の中にある。世の中が退行しているとか、世界はひどい方向にむかっているとか言うのは、たぶん彼らを見くびりすぎている。

この本に書いてある感覚には、もう共感しかないというくらいに共感しまくったんですが、例に漏れずこのフレーズも本当に共感しました。

未来は子どもたちの手の中にあって、世界はひどい方向にむかっているとかというのは、子どもたちをみくびりすぎている。

私はNei-Kidの活動を通して他の大人よりも、子どもたちと触れあう多くの機会を得ていると思いますが、その時感じている希望を、この子たちに任せておけば大丈夫という確信を、スバリ言ってくれてスカッとしました。

心配しなくても、子どもたちに任せていれば、未来はきっと大丈夫。

自分たちにできるのは、自分たちの知っていることや感じていることのありのままを、次世代にみせてあげること。本当にそのくらいしかないのだと思います。

あとは、彼らが、未来をつくる。

「イエローでホワイトで、ちょっとブルー」と入学時にノートに書いたこの子が、エンディングの頃にはどんな風に思うようになったのか。ぜひ皆さんも読んでみてください。

 

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